男性はそうでもないかもしれませんが、女性はバッグにお金をかける方が多いですね。その時々で流行のブランドがありますから、流行に合わせてバッグを買い替えているという方もいるでしょうが、理由はそれだけではありません。多くの場合、バッグはそのブランドを象徴するアイテムです。つまり、バッグはブランドのアイコンともいえるわけで、あるブランドのバッグを持つということは、自分がそのブランドを愛用していることの象徴となりえます。ですから、見栄えの良いブランドもののバッグがあれば、他の部分で手を抜いてもとりあえずは通用する。このように考えている女性も多いのではないでしょうか。つまり、女性がバッグにお金をかけるのは、自分をランクアップして見せてくれる安心感も買っているのです。だからカジュアルな洋服にも高級ブランドのバッグを合わせる女性が多いのです。
新聞に連載していたエッセイで、毛皮のマフラーを持った方のことを書いたら、毛皮を褒めるなんて何ということでしょう、というお叱りの投書があったということ。もちろん私とて積極的に毛皮など買いたいと思わないし、この東京では必要のないものだ。極寒の地に住んでいてもなるべく我慢するべく努力するはず。そう最初におことわりしておいて、毛皮のお話。衿にファー(毛皮でしょうね)を重ねた素敵なコートを雑誌で見た。この衿を立てるとどんな寒さも耐えられそうな感じがする。その替え衿をベルベットで作るとエレガントに、イミテーションファーにするとカジュアルなコートになりそうだ。ウェストを結ぶスタイルのコートはクラシックなイメージがあって素敵。毛皮のコートよりもずっと自然で素敵なのが、こんな部分使いだ。
ファッションと秩序との関係を次のように語る。ファッションという現象はだから、権威や体制や権力機構(とりわけ国家や学校)がもっとも嫌うものでもある。そのいいかげんさ、いいかえると、いかなる秩序をも溶解させる、あるいは骨抜きにするそのいきあたりばったりの存在形式が、秩序によりかかる者の神経を逆撫でするのだ。右か左かということはまったく関係ない。そういういいかたをするならば、ファッションに「流れる」こと、つまり不断の「転向」をより強く嫌悪してきたのは、むしろ左翼のほうかもしれない。社会主義国家でひどく叩かれたもの、それもファッションであった。ファッションは不道徳だ、ファッションは社会をなし崩し的に堕落させる。秩序と権力を夢見る人は、こういって、ファッションを嫌悪する。わたしたちの社会においてファッションがときに、多くの若者たちにとって市民的な政治運動以上に強い抵抗の意味をもつのもまた、そういう理由による。六〇年代には「抵抗」の意味を持っていた若者ファッションも、現代日本では「ただの他人への無関心」あるいは「おざなり」の象徴である。いや、何かの象徴ですらないかもしれない。しかし、この無関心ファッションないしおざなりファッションを支えるメンタリティが、いずれ何らかの形で現在の秩序のどこかの部分を突き崩し、目に見えるように変えていくだろう。